かもかも論争。エピソード3
私は、ファッションに疎い。
毎日着る服をなるべく考えたくないし、そもそも、クローゼットに収納できるスペースが限られているので、種類を揃えることができない。
何といっても、Fashionというワードに、AmazonロゴのようなAからzを結ぶ矢印が入っていないことに心底安心している。
先ず、下着など見えない衣服は、肌に合うもので良い。
ユニクロのエアリズムやグンゼのシークなど機能性が高いアンダーウェアーを好んで着ている。
サイズ以外を考える必要がなく、引き出しには、ストームトルーパーのように同じ肌着が並んでいるのだ。
同じといっても、もちろんクローンではない。彼らは厳しい訓練後に配置された人間なのである。
そろそろ、思考が混乱する人が出てくる頃なので、ハイパースペースにジャンプして話を肌着に戻そう。
「組み合わせでインナーが透ける」、「首元からインナーが見えるのはダサい」など、おしゃれ番長からの厳しい声については、普遍的な指摘として受け入れよう。
しかし、Photoshopのガンマカーブを極端に設定したような着こなしでなければ、「よく見たら透けてるかも」、「襟からインナーが少し見えるかも」程度ではないだろうか。
先に謝っておくが、私は、かもかも論争に巻き込まれるのはごめんなので、クローゼットには、外から目立たない肌色のスペーストルーパーを配置している。
トルーパー間違いに気づいた人は、なかなかのスター・ウォーズマニアで、星と戦争の間の点も見逃すことはないはずだ。
人の目は気にしない
「人目が気になる」かもかも信者の皆さん。実は、あなたが思っているほど、周りはあなたを見ていない。
現実世界では、裸の王様のように透明な服を着て外に出かけることはなく、仮にうっかり出かけたとしても、気になる範囲が人の目であれば、ディズニー・アニメショーンズートピアの新米警官に捕まる心配はないはずだ。
当然、私のことなど、周りは露程も気にしていないので、いつものインナーに適当なトップス、その反対語のボトムをはいて買い物に出かける。
トップスの代わりに、アウターを選んでいたら、パンツをはけていないので、恐らくジュディ・ホップスに逮捕されたことだろう。言葉選び一つで公然わいせつ罪から免れられて本当に良かった。
新型コロナウィルス感染症が拡大していたとき、場所を問わずマスクをつけていない人を咎めるマスクポリスがどの町にも配備されていた。
近隣国では、ドアに釘を打ち付けるような極端ポリスも出現し、その様子は反乱軍を一瞬に制圧したデストルーパーのような迫力を感じたものだ。
興味がない人もいるので、バケツ頭のトルーパーの紹介はここまでにしょう。
かつてヒルナンデスの人気コーナーで、ファンションプロデューサー植松晃士さんが、ショッピングを楽しんでいる買い物客の服装をチェックし、モテ、ちょいモテ、ちょいブス、おブスと4段階で格付けしていた。
わざわざ頼んでもいないのにお節介な評価をしなくてもよさそうだが、アドバイスと一緒に、ファッショングッズをプレゼントしていたので、それほど問題なかったのだろう。
ファッションとは調和
姿見を見ながら、「今日の私はおブス?」そんなことを考えても、クローゼットの中身が変わることはない。
仮に、それが正しかったとすれば、首に巻いてる赤いスカーフを高島屋のセールで買うこともなかったはずだ。
そのまま外に出たとしても、ピンクの棒を振り回すファッションポリスに会うことはまずない。至難の業と言える。
遭遇確率をわかりやすく英語で伝えると、It’s like looking for a needle in a haystackだ。干し草の山から針を探す無意味な行為も知ったことではないだろう。
私は聞きたい。鉄の掟を守るリーマンでもないあなたが、なぜ他人の意見に付和雷同するのか。
ファッションとは、他人ではなく、自分で似合っていると感じられれば十分ではないか。
お世辞と営業トークが極めて高度に融合すると、「そのお洋服お似合いですぅ」に出会うことができる。
長年の訓練から繰り出せる店員さんの合いの手に背中を押される人がいることは否定しない。
ただ、ヨイショの最後のョを除く、前から3文字目ぐらいまでは、自分で似合うかどうか、買いたいかどうかを決めていたのではないだろうか。
「勝手にしろ」との声が聞こえてきそうだが、旅先でダウンを買ったときに受けたカルチャーショックを恥ずかしげもなく書きたいと思う。
当時体のラインにぴったりフィットする着こなしが流行っていたので、自分を捨てて、明らかに小さいサイズを試着してみた。
そのまま盗まれることを恐れた定員さんが、警備もかねて試着室の外で待ち構えていたことに、少し緊張したことを今でも覚えている。
鏡を見ようとフィッティングルームから出たところ、タイトに仕上がった私を見て、フランス人のガブリエルが「ぷっと!」と笑った。
カーテンから出るか出ないかの瞬間に高らかに叫ぶ合いの手を期待していたら、何と、無言で一つ大きいサイズを運んできたのだ。
もしかすると、ルイーズだったかもしれないが、恥ずかしさで彼の名前を覚えていない。
自己主張をはっきりする国民性は、お世辞と営業トークのはざまにある太鼓を叩かなかったのだ。
フィレンツェの工房でもないパリのアパレルショップの失笑と無言のはざまで、裸の王様になる私を正してくれたのだ。
似合っているとは、調和するということだ。
パリのレオンは、ピンクのステッキを持つことなく、私のファションが町に溶け込まないと示してくれたのだ。
環境保全はSDGsの重要なテーマである。17の項目に入っているのかわからないが、タイトな着こなしが似合う男になりたいものだ。