サザエさん症候群
子供の頃テレビアニメ “サザエさん” を見終わったあたりから、休みが終わる寂しさを感じていたのではないだろうか。
斯く言う私も、突然地球に隕石が落ちて学校が休みにならないものか僅かに期待しながら日曜の夜を過ごしていた一人だ。
今から6600年前の白亜紀後期、ユカタン半島に落下した小惑星の衝突で、地球に生息する生物の75%が消滅したことを考えると、毎週日曜日にそのような状況が起こるはずもない。
ましてやピンポイントで学校だけ被害を受けるなど、デューク東郷のような火星人がいたとしても、とても不可能だろう。
それでも、サザエさん症候群に罹患したまま大人になった私は、フジテレビ “Mr.サンデー” の番組を見終わったあたりから、学校から都内の会社へと標的を変えて都合のよい想像を働かせ始める。
子供の頃から、3時間30分遅れて症状が出ることに「大人になったもんだ」 と感じている。
営業の本質
「陽はまた昇る。」アーネスト・ヘミングウェイの言葉通りだ。
今週も火星にデューク東郷がいなかったことを確認できたので、そろそろ仕事の話を始めよう。
私の会社で取り扱う商品は、工場の製造工程で使われる特殊な部材。
商談では商品そのもの、もしくは、外観や機能がわかるサンプル品を顧客に見せて、注文いただけるかどうか相手の反応を探っていく。
最近は、インターネット経由で注文を完了するような、リアル・セールスを介さないビジネスも増えてきたが、私が勤める会社は違う。
数々の修羅場をくぐり抜けてきた猛者たちが、他愛もない世間話しで商談の場を温め、先方から「ところで、今日何しに来たの?」のをトリガーに、販売モードへ切り替えていくのだ。
無駄話が盛り上がりすぎて、本当に何しに行ったのかわからなくなることもたまにある。
そんな時は、現地で美味しい物を食べて、ホテルに戻ってテレビ東京 “ワールドビジネスサテライト (WBS)” を見れば、一日の仕事を終えた充実感に浸れる。
都合よく記憶を書き換えてくれる脳の神秘に感謝すべきだろう。
ビジネスは戦争である。商談に入ったらミスは許されない。
3分前まで、ゴルフの話題でヘラヘラしていたダメリーマンズも、商談では、米海軍特殊部隊の1小隊のような高度な連携で近接戦闘を繰り広げるのだ。
先ず、クライアントの仕事の進め方を改めて確認する。
「そんなことは顧客に聞くことではなく、訪問前に調べておくべきでだろう!」と鬼軍曹の諸先輩方は感じたかもしれないが、心配はご無用。
実は、我々ネイビー・シールズは熟知しているにも関わらず、あえて聞いているのだ。
ショッピングに出かけた際、聞いてもないのに、やたらめったら商品を進めてくる店員に出会ったことはないだろうか。
他にも、経験が浅い営業社員が、カタログを読めばわかる製品特長を滅多矢鱈に説明し続ける光景も想像に難くない。
“やたら” と “めったら” の使い方はさて置き、このような振る舞いは、長篠の戦いで打ち負かされた武田軍と同じで、どれだけ優秀な外資系トップの騎馬隊を揃えたとしても、クライアントの足軽鉄砲衆を突破できないだろう。
デスクの一角に陣取った優秀なリサーチャーが、顧客の状況を徹底的に調べたとしても、ビジネスの状況は日々変化する。
1時間前に「必要だから持ってきて!」と言われた商品でも急に不要になる場合もあれば、品質改善等で、ものづくりのプロセスが変わっていることもある。
織田 裕二さんの言葉を借りれば「事件は現場で起きているのだ!」。
会社は慈善事業ではないので、商品を売って利益を出さなければならない。
どれだけ社会貢献の意識が高くても、何の成果を出さず、毎晩WBSを見て床に就くような人生は許されない。
そのような楽園があるなら教えてほしいぐらいだ。
そのため、日本人口の約1割を占める850万人以上の営業マンの多くは、売りたい気持ちが先行し「私の商品すごいでしょ!」、「わたしは、あなたの会社の課題を知り尽くしてます!」のトーンで機動戦士Vガンダム第8話のような波状攻撃をしかける。
しかし、ジェット・ストリーム・アタックでガンダムを追い詰めた黒い三連星と異なり、現実の商談では、意気揚々と話す説明の大半は、相手の耳に残っていない。
恐らくあなたが強調したい「弊社の強み3点!」についても、クライアントは、ガイア、マッシュ、オルテガのモビルスーツ “ドム” のように区別がつかなくなっているはずだ。
また、神様でもない我々が、事件が起き続ける現場で、正確に情報の非対称性を埋めることは極めて難しい。
戦場で仙人のような “したり顔” をきめたいなら、神田の雑居ビルではなく、先ずはカリン塔に登り、そこから如意棒を延ばして、神様の神殿に向かうことをお勧めする。
営業の本質は、売りたい気持ちを抑えて、とにかく話を聞くことだ。
聞き上手な記者のように、相手から “お困りごと” を伝えられるのをただひたすらに待つのである。
心配はいらない。恋人や奥さんの機嫌を損ねないよう日夜研鑽を積んだ皆さんならきっとできるはずだ。
ただ、話を聞くと言っても「御社のお困りごとは何ですか?」のような質問は最低だ。そもそも、聞いても意味がない。
クライアント自身が気づいていない可能性があることと、例え、運よく知ったとしても手に負えない課題もある。
多くの会社は、お金で何でも解決できるNetflix韓国ドラマ “クイーンメーカー” の財閥企業 “ウンソングループ” ではないのだ。
会話の中で顕在化する幾つかのお困りごとから、他社ではなく、自身の会社で最も上手く解決できる問題を捉えて、自社のサービスと一緒にソリューションというカッコイイ名前をつけて紹介すればよい。
そのため、我が特殊部隊は、十分にわかっていながら仕事の進め方から聞いていくのだ。
顧客は、自分の仕事を話すだけなので、ストレスを感じることなく、こちらの想像通りの説明が繰り広げられる。
事前情報との違いがないことを認識できた状態で、恐らく私の眼鏡は、碇ゲンドウのように光っている頃だろう。
ここから、売りたい商品に最も関係するポイントを中心に、コール&レスポンスで掘り下げる。
もちろんコールはお客様で、雑居ビル会議室のボルテージを上げながら、商談の一体感を高めるのが我々の役割だ。
「ここだ!」という瞬間に、実際の商品、もしくはサンプルを使って実演すれば、勝利は目前に迫ってくるのである。
歴戦の営業マン
今回は、会社が抱える商談の中でも特に重要な案件だ。失敗は許されない。
時刻は午前10時前、我々と同じような戦闘服に身を包んだリーマンが新幹線から降りて、それぞれの戦地へ向かっていく。
同席する50歳半ばを超えた老兵は、その経験と知識からクライアントの受けがよく、着実に仕事もこなす。
眼光も鋭く「まだまだ若手には負けませんよ!」が口癖だ。
任天堂ゲームソフト “ファイアーエンブレム” のアリティア宮廷騎士団隊長 “ジェイガン” をググっていただけると、イメージが伝わるかもしれない。
逆光の中、もくもくと前を歩くジェガンの背中が何とも頼もしい。
年齢のわりに筋肉質の腕には、普段より大きめの鞄が抱えられている。商談で使うサンプルの準備が万全であることがうかがえた。
いつもと同じ流れで、顧客視点のコール&レスポンスで会議室のボルテージを高める私。
「そろそろ、商品サンプルの出番かも」と、老兵に目配せをしたが動かない。それどころか、鞄に手を伸ばす素振りも見せなかった。
「なるほどジェイガン。まだその時ではないのか!」と悟った私は、必要最低限のレスポンスで、更にクライアントの課題の深堀りを続ける。
この地蔵レスポンス作戦が功を奏し「それはええなぁ。今日はサンプルとか見たりできるん?」と、顧客からGOサインが発令。
「さすがジェイガン。顧客の口から是認の言葉を引き出すとは。恐るべし焦らし作戦!!」と、笑みを浮かべて彼の顔を見たところ、現場の雰囲気とは明らかに合わない真剣な顔をして黙っている。
どちらかと言えば、大きな体を縮こめ、気配を消しているようにも見受けられた。
彼は生粋の関西人なので、クライアントの言葉を理解できていないはずはない。
「ジェイガン。サンプルを出してくれますか!」もはやサインではなく直接声で依頼したところ、「今日は持ってきてないです。スミマセン。」と、信じられない言葉が耳に入る。
バラード曲が始まるかのように、急に静まり返った会議室。
「その足元にある大きな鞄は何なのだ…」現場で起こった大事件に混乱して言葉が出ない状況に耐えかねたクライアントから「ほな。次見せてくれたらいいよ。」と慰めのお言葉をいただく。
次回のアポを取り付け、エレベーター前で挨拶した後、20階からグランドフロアーに向かう。
二人きりの密室空間で先ほどの失態について聞きたい衝動をぐっと堪える。「ここは、まだ顧客のビルの中。落ち着こう」と10秒呼吸法で感情の高ぶりを抑える。
顧客のビルを出て数メートル歩いたところで、ジェガンから「今日はご迷惑かけました。慙愧の至りです!」との一言。
エレベーターで約20秒、ビルからここまで約10秒、大体30秒の間に考えた謝罪だろう。
先に謝られると、自身の怒りの火は静まるものだ。更に、“慙愧の至り” など普段使わない言葉で私を煙に巻くところが、歴戦の強者ジェイガンの凄さと言える。
「商談は次に繋がったの大丈夫です。ところで、サンプルと勘違いしましたが、その黒いバックには何が入ってるのですか?」。
金田一耕助のような探偵でなくても、商談の現場にいた全員が解きたいミステリーだろう。
「私は汗っかきなので、着替えの肌着とワイシャツ。それと、腰痛が酷いのでハンディーマッサージャーです。小型で便利ですよ!」。
まるで切腹するかのような、1分前の打ちひしがれた態度とは打って変わり、少年のような無邪気な笑顔で答えるではないか。
「あぁ、このじじぃをぶん殴りたい…」という衝動を抑える私。
炎天下での移動は、暑いし汗もかく。アンダーウェアーの替えも好きなだけ持ってくればいい。
だが、ジェイガンここは戦場なのだ。「ハンディーマッサージャーのスペースがあるなら、サンプルを持参してくれ!!」と心の中でつぶやいた一日だった。