生活困窮者への印象
公園や河川、駅舎で見かけるホームレス。
2023年厚生労働省の調査によると、日本国内で路上生活する人の数は約3千人のようだ。
20年前の約2万5千人から大幅に減っているのは、自治体や民間団体の支援活動によるものだろう。
名古屋市の市民ヒアリングでは、90%の人が 「ホームレスを見たことがある」、「特に関わりを持とうと思わなかった」と答えた。
かくいう私も、彼らを見かけたことはあるが、何かしら関りを持とうと思ったことはない。
彼らの大半は、俗世との関りを断っており、生活困窮から抜け出そうとする意志や熱意を感じたこともない。
終始うつむき、何も語ることなく、目の前に置かれた空き缶に誰かが支援の手を差し伸べるのを待っている印象だ。
雄弁なホームレス現る
先日大阪に出かけた際、ホームレスに対する見方を一変する経験をした。
30歳半ばから40歳代に見える男性は、すれ違う人に積極的に支援を要請している。
「俺は路上生活から抜け出したい。働く体力をつけたいるために食事もとりたい。最近、弁当が値上がりしてるので、誰か1000円を恵んでほしい!」
少し失礼かもしれないが、彼の説明は、駅で街頭演説している政治家より、シンプルでわかりやすい。
現状の課題共有から始まり、問題を乗り越えたい熱意と具体的な手段、さらに、社会情勢を踏まえた提案まで短い言葉で論理的にまとめれていた。
しかし、多くの道行く人は積極的に提案するホームレスに慣れていないため、突然声をかけられて動揺している様子だ。
当然と言えば当然だが「頑張ってください!」と1000円渡す人などいない。
人と関わるため、自ら声をあげたとしても、やはり世間は甘くないのである。
ものの見方が変わる時
彼の近くを通った際に声をかけられたので、好奇心から少しやり取りしてみた。
「体力をつけるなら支援団体の炊き出しに並べばよいのでは?」
「曜日によって、公園や協会、ボランティア施設で炊き出しが行われている。ちょうど今日は夜に炊き出しがあるので、バス代を恵んでほしい!」
この男は、通り一遍の懇願スクリプトを繰り返しているわけではなく、私の質問に合わせてバス代への支援という新しい提案をあげてきた。
自社商品のカタログ情報を覚えて、クライアントの要望も聞かず、ひたすら説明する新卒社員より、よほど優秀ではないか。
「確かに歩くのは大変ですよね。バス代だったら500円ぐらいで足りますか?」
「バスは市内均一なので210円ほしい!」
500円を獲得できる可能性があったにも関わらず、210円に下げて支援額を提示されたことに驚かされた。
どこか親しみを感じる人だったので、バス代をあげてその場を立ち去った。
「頭が切れるホームレスだったなぁ」と考えながら横断歩道の信号が青へ変わるのを待っていると、何かを言い争っている声が聞こえた。
その場で立ち止まりスマホを見るふりをしながらやりとりを聞いてみると、支援について舌戦しているようだ。
「1000円は高すぎる。ホームレスのくせに俺よりいい弁当を食べるな!」
「さすが関西人。ホームレスの提案をディスリながら応戦しているのか…」
「弁当とお茶2回分で、1つ398円だから豪華でも何でもない!」
「支援する人は中々見つからないので、親切な人から1日分 (2食分) をお願いしていたのか。よく考えている…」
「そんなこと知らん!水でも飲んどけ!!」
ロジカル・ホームレスに完全に論破された関西人が、大阪の便利ワード “知らん” で何とかやり過ごしている。
「お茶だけでも買いたいので120円ほしい!」
水への完璧なコール・レスポンスで、大サイズ160円ではなく、120円の小ボトルのお茶をお願いしている。
「お前にあげるぐらいなら捨てた方がましだ!」 と結局1円も支援することなく、捨て台詞を吐いて歩き去った関西人。
「怒って何か言い返すのか?」と聞いていると、特に罵声を浴びせることもなく次の歩行者に声をかけている。
ライフラインを保つために支援の可能性が低い人と遊んでいる時間などないのだろう。
向こうから歩いてきたカップルも 「あのホームレスすごいな!」と感心していた。
彼は、これまで見てきたホームレスとは根本的に異なる人間だ。
今の環境から本当に抜け出したいのか真意はわからないが “アクティブ・ホームレス” と名付けよう。