鯵を求めて
久しぶりに鯵が食べたい。
塩焼きから煮つけ、鮮度がよいものはお刺身と、レシピのバリエーションは豊富だ。その中でも、サクサクふわふわのあじフライはたまらない。
「そうだ小田原、行こう。」とJR東海のCMで流れるBGMを口ずさみながらドライブかねて東京から車で向かう。高速を使えば約40分とアクセスも抜群である。
箱根の玄関口である小田原は、山と海に面した美しい街を楽しめる人気の観光地。
早川漁港の駅 TOTOCO (ととこ) 小田原も捨てがたいが、今回の目的地は、江戸の城下町のような風情ある木造店舗が並ぶ小田原駅直結のおしゃれ複合商業施設ミナカ小田原だ。
施設がオープンした2020年12月は、新型コロナウイルス感染症第3波による外出自粛時期と重なっていたため、メディアで大きく取り上げられなかったが、小田原の新しい観光スポットとしてひそかに注目していた場所である。
11時40分ミナカ小田原に到着。
駐車場には、TBSテレビ人気番組 “バナナマンのせっかくグルメ!!” のボードは見当たらないが、「せっかく小田原へ来たんだから、あじ屋でん助の活あじフライとたたき食べてけ!」とつぶやきながら、ミナカ小田原2階を目指す。
ランチ前にも関わらず、店舗前には数名の観光客、地元の会社員らしき人たちで列をなしていたことから、人気の高さがうかがえる。
私は行列が苦手なので、廊下の先にある小田原おでんも頭をよぎったが、心のボードに書かれていたのは鯵。
そうだ伝助、今日はあじフライを食べに来たのだ。
鯵はどこへ消えた?
待つこと30分。
順番待ちの客を数えるため、時折扉から顔をのぞかせる店員に「あと何匹?」と聞く常連とおぼしき親父さん。
あじ屋でん助は、店内に鯵専用の生け簀を持っていてオーダーを受けてから調理する。
ランチでは、活あじフライ定食 (鯵2尾) か、活あじたたきとフライのあじくらべ定食 (鯵2尾) を頼む人が多い。
この「あと何匹?」親父は、恐らく生け簀で泳ぐ鯖の合計から列に並ぶ人数の2倍を引いて、自分にあじフライが割り振られるか高度な計算をしているのだろう。
老夫婦2名に、女子旅満喫中の3名が呼ばれたあたりで、親父が再度の「残り何匹?」コール。
ご年配のシニアと、食が細そうな女子、どう考えても、鯵の最大消費数は10匹だ。「何てつまらない質問を繰り返す人だろう。」と親父を除く、7人中6人が心の中で思った瞬間、何と店側から「後17匹!」のレスポンス。
私は、子供頃から数学が得意で、大学でも理系を専攻した。もちろん数Ⅲの履修も終えている。
「どう考えても1匹少ない」。
先ほどの女子グループに、大食いで有名な曽根 菜津子さんばりのグルメハンターが混じっていたのか。
小田原城下町2階の店前で、多くの数学者が挑んだフェルマーの最終定理、事象の地平面を持たないブラックホールのような謎に包まれた状況が、この親父と店員の奇妙なコール&レスポンスによって繰り広げられていたのだ。
「最初に聞いた鯖の数を聞き間違えたのか?」心の中で自問自答する私。ミナカと勘違いして、近くのラスカ駐車場に迷い込んだぐらい混乱していた。
伏線の狙撃手と呼ばれる浅倉 秋成さんのミステリー作品のようにあじ屋でん助の中は得たいが知れない。
したり顔の親父を見る周りの目が変わりつつある中、列最後尾で待っていた短パン姿の学生が突然列を離れた。短パン姿のあじフライ同士は、恐らく食べられない可能性に嫌気がさして離反を決意したのだろう。
彼は、残った我々を「五人の嘘つきな大人たち」と感じていたはずだ。
小田原のダークホース
午後12時30分を過ぎた頃、ようやくレスポンスクイーンから声がかかり入店。
因みに、小田原のフレディ・マーキュリーは、同士学生の短パンが列から離れた後は、コールを控えていた。もしかすると、数名を削る作戦だったのかと勘ぐってしまう。
この2畳ほどの店前のスペースで、どれ程の知能戦が繰り広げられていたか、誰も想像ができないだろう。
まだ、外には今か今かと呼ばれるのを待つ同士がいる。“鯖は一人2尾がMax” と自身の胸に無言の圧力を感じながら、活あじフライ定食を注文。
活あじフライは、箸で持ち上げるのも大変なぐらい厚みがあってジューシー。
夢中でサクふわ食感の鯵と、少し硬めに炊かれた白米を交互に楽しんでいると、「今日は、たたきとフライで3尾も食べてお腹いっぱい。夕食はいらいないな」と突然おじいさんの声。
何とダークホースのじいさんが、暗黙の協定を破ってるではないか。常連のフレディが鯖カルテルの元締めなら、消されててもおかしくない行為だ。
まさに快刀乱麻を断つが如く「鯖はどこへ消えた?」問題が解決したのである。
清々しい気分でアサリの味噌汁を飲んでいたところ、老夫婦のばあさんから「いいましたね。今日は、この後食べるもの何も出さないので、覚えておいてくださいよ」の一言。
爪楊枝で歯を掃除し、支払いに向けてボストンバックをゴソゴソいじる陽気なじいさんが急に固まった。
まだ午後1時。じいさんが、毎朝5時に配られる新聞を玄関口で待ち構えるにしても、次の食事まで後17時間は残っている。
案の定、ばあさんに何も言い返せないほど縮こまって、お皿に半分残ったアジフライを見つめている。40分前、鯖王フレディに挑戦を挑んだ勇ましいじいさんはどこに行ってしまったのか。
ギャル曽根さんにはなれなかったけど、鯖3尾への爆食チェレンジは、この年齢で頑張った方だ。旅先での高揚感から、冗談半分に少しおちゃらけてしまったのだろう。
「鯖フライを残すあなたに、食事などはもっての他」。間接的に反省を促すばあさんの一言は、ミナカ3階の金次郎広場に設置された二宮金次郎像の教えを全うする一言だったなぁ。