ギャップ萌え
“ギャップ萌え” というワードをご存じだろうか。
「一見すると冷たそうだが、話してみると優しい人だった。」のように、相手に与えた印象の変化で自身の魅力が上向きに評価されることらしい。
割れ目や隙間を語源とするギャップを、世代間での知識や感覚の隔たりとして表現するジェネレーションギャップという言葉は馴染み深い。
また、コミュニケーションギャップやカルチャーギャップなどもニュースでよく耳にする。
つまり、差を強調したいときは、その原因を表す言葉の後にギャップというマジックワードを付け足せばよいことになる。
若葉が芽吹き始めた木を “萌え木” と呼ぶが、これを人や物に置き換えて、湧き出た激しい心のときめきを伝える言葉が、日本のサブカルチャー・スラングとして使われている “萌え” だ。
この萌えを、先のギャップ活用ガイドラインに沿って強調表現に変えてみると “萌えギャップ” になる。
「ギャップ萌えは聞いたことがあるけど、萌えギャップは馴染みがないなぁ」と感じた人もいるだろう。
日本語は、知れば知るほど奥深いもので、敢えて通常と異なる語順にすることで、文章を印象的に表現する倒置という技法がある。
真意は定かではないが、この表現技法によって “ギャップ萌え” が誕生したのではないかと思う。
秋葉原を初めて訪れるアニメ初級者は「このアニメは萌えだね!」と “萌えを多用しがち” なので、「このキャラクターのギャップ萌えはたまらないよね!」などと表現の幅を広げることをおすすめする。
そうすれば、少し横に伸びたキャラクターシャツを着てメイド喫茶で楽しむあなたを思慮深い紳士として認識されるようになるかもしれない。
ギャップを与える難しさ
私はギャップがない人間だ。
普段の行動で友人や同僚に驚かれることもない。
見た目通りしか食べないし、好みのカレーの辛さは中辛だ。
カレーハウスCoCo壱番屋で「見かけによらず、辛いもの好きなんです!」と大風呂敷を広げた後輩が、4辛以下をオーダーしたとき「見かけ通りではいか…」とガッカリする。
私の目の前に広げた風呂敷をできるだけ早く畳んでほしい。
ココイチでは、好みに応じてカレーの辛さを変えてオーダーできるが、4辛と5辛の間で大きな辛さの隔たりがある。
つまり、3辛や4辛で後輩の脂肪は燃えても、私の心は萌えないと言うことだ。
他人にギャップを与えることは難しい。
それにも関わらず3辛カレーを美味しそうに食べる後輩が話を続けてくる。
「私は陽気でいい加減に見えますが、仕事モードに入るとしっかり業務をこなせるんです!」
「当たり前ではないか…。堂々と宣言すれば何でも許される世の中ではない。」
そもそも、ヘラヘラと陽キャな雰囲気でミスを連発するような人を許す会社など聞いたことがない。そんな楽園があるなら転職したいぐらいだ。
恐らくこの “自称ギャップ萌えボーイ” は仕事ができるタイプだが、普段はスイッチを切っているので、周りからいい加減と評価されてしまう。
ただ、ここぞという場面で、本気モードに気持ちのギアを切り替えられるため、そつなく仕事ができることを伝えたいのだろう。
長々と説明したが、一言で表現すると “ギャップ詐欺” 。もう少し気楽に生きる方が彼の人生は豊かになるだろう。
私の場合は、やる気スイッチがどこにあるかわからないし、たとえ見つけられたとしても、萌えの発動に合わせてON/OFFを制御する自信がないので普段から省エネモードで生活している。
“アナ雪のエルサ” と同じく、ありのままの自分を見せたいのだ。
稀に冗談を言ったりもするが、周りもそれほど面白さを期待していないので、少しも寒くないのである。
ギャップパワー解放
前職でお世話になった先輩は、第一印象が怖い人と勘違いされる “見た目ギャップ” な人だ。
実際は、自分が話すより聴くことを好む控えめな性格だが、190cm近い高身長とガッチリした体型のおかげで、どこにいても目立つ。
普段から喜怒哀楽を見せないので、機嫌が悪いと勘違いされることもよくある。
また、仕事の手際がいい方ではないので、プロジェクトの進捗が遅れているときは、部長に気づかれないよう大きな体を縮めてオフィスで気配を消していた。恐らく呼吸の回数も減らしていたはずだ。
それでもチームメンバーから慕われていたのは、信じられないほど謝罪が上手だったからである。
仕事のミスでクライアントを怒らせ、お詫びに伺うことは皆さんも経験したことがあるだろう。
斯く言う私も納品遅延で顧客に迷惑をかけてしまい「取引を止めらるかも…」と焦りながらこの先輩に相談したことがある。
どうなることかと心配しつつ、逃げ出すわけにもいかないので、激怒するクライアントが待つオフィスを二人で訪問することになった。
1階で受付を終えてクライアントが待つ20階フロアーへ向うエレベーターの中で私は心配とストレスによる動悸を感じていた。
横に立つ先輩は、緊張しているのか、ただ暑いだけなのか、ハンカチで何度も汗を拭っている。
今のところ、普段の “ブルース” のままで、周りから聞いていたような超人的な凄みを感じることはなかった。
クライアントの会議室は、スモークがかかったガラス扉で、外から中の様子がうっすら見えるデザインだ。
うつむき気味で覇気のない担当者に先導されて、鬼が待つ部屋の前に辿り着いたとき、私は衝撃の光景を目にする。
「スモークではっきりと見えないが、全員立って待ち構えているではないか!」
「骨は拾って下さい…」と覚悟を決めて横のブルースに目配せしようとしたとき、彼は突然扉を強めにノックした。
中から「どうぞ!」の声が聞こえたと同時に扉を開け、大きな体を90度近くに曲げながら、まるで寺の吊り鐘を突く棒のような姿勢で会議室に入っていったのだ。
先方も、顔を下に向けた大男が突然入ってきた迫力に少し圧倒されたようで、怒りの仁王立ちスタイルから少し後ろ側へと体が動き、明らかにたじろいでいた。
鬼たちが我に返るや否や、”ハルク” と化した先輩がどっしりとした声のボリュームで「この度はご迷惑をおかけして申し訳ございません!」と畳みかける。
先方もどうしてよいものかと困った表情となり、我々を怒鳴りつけるどころか「とにかく顔を上げてお座り下さい。」の言葉を引き出したのだ。
謝罪会議という勝ち目のない戦いで、電光石火の鐘つき棒スタイルで突進し、先方のハートにとどく謝罪を響かせることに成功したハルクの戦略勝ちである。
席に着いて少し落ち着きを取り戻した後、当然小言をいただくわけだが、目の前にわけがわからない屈強な戦士が神妙な顔つきで話を聞いているので、先方としても怒り狂うような状況にはもっていけない。
謝罪のため時々ハルクが急に立ち上がろうとするので、その度にクライアントの体制も少し仰け反るほど、会議室はえも言われぬ緊張感が漂っていた。
きっと「突然殴りかかってこられるのではないか!」と心配していたことだろう。
謝罪が一巡した後、まだ対策が確定していない説明を迫られたときの彼の対応には心底驚かされた。
こちらが追い込まれると感じたハルクは、おもむろに席を立って会議室出口から最も奥の上座に座る “クライアントのボス” の前までゆっくり歩き始めたのだ。
そして、再び鐘つき棒姿勢にトランスフォームし、頭を下げながら「次回伺う際に対応策を提案させていただきます!」とパフォーマンスを見せたのだ。
クライアントのボスも入室時の衝撃が脳裏に鮮明に焼き付いている。
このスタイルのまま前進できることも理解しているので、目の前でハルクに頭を下げられたボスは堪らず「次回はよろしく頼むよ!」と言うしかない。
クライアントとの合意形成を終えたハルクは「ありがとうございます!」と、今後は上座から順番に頭を下げる。
お辞儀の反動を利用しながら少しずつ会議室出口付近へと移動するエビのような動きに、同席する私は着いていくだけで精一杯だった。
人の心を動かすギャップ。その落差に比例して相手に与える影響度合いも大きくなる。
新たな危機に直面したとき、私のどこかに眠っているスイッチが突然点灯し、”ハルクのようなもう一人の自分” に出会いたいものである。